「騎士団長殺し」読了。
読みました。
感想をだらだらと。
物語の始まりはいつもと同じです。
主人公が手ひどく喪失します。お得意のパターンですね。
(何を失ったかは読んでのお楽しみ。^^;)
その一人称の語り口は今までの『僕』とは違う人物に思えました。
作者は新しい人物の造形に成功したのかな、と感じました。喜びというかワクワク感を感じました。これはじっくり読まないといけないな、一気に読むのはもったいない、と。
でも途中からやっぱり『僕』になっちゃいましたね。(あ、呼称は『私』ですが、なんと言うか人となりが『僕』てことですね)
思うに、作者は「無理に書き続けるとぶっ壊れちゃいそうだから、このまま流れに乗っかってみよう」と割り切ったように思います。そしてかまわずにぐっと物語を加速させて行きます。
(どこら辺からかは、やっぱり読んでのお楽しみってことで)
この物語の核は「成長」ということかな、と思いました。
これは、この作者には珍しいことのように思います。初めてじゃないかな。
今まで成長する登場人物って出てこなかったですものね。
冒険はするし、試練も潜り抜けるけれど、手持ちのカードで勝負するのみ。それで何かを獲得はしない。失い続けるだけ。情報は仕入れるけれどそれだからといって主人公が強くなったり賢くなったりはしない。でも誠実に生きて行く、みたいな。
また「テーマはこれ」って分かりやすいのも珍しいですね。
今回の主人公は成長して行きます。その成長に合わせて物語が進行していきます。「時を味方につけながら」。成長する『僕』。これ、新しいですね。何人かの登場人物も成長を遂げて行きます。
死者との邂逅が村上作品には欠かせませんが、この物語にもたくさん出てきます。死者、あるいは異界のもの。
彼らは成長しません。死んでますからね。当たり前ですが。
この生きてる者と死んでるものの対比が強烈です。
生者の中にも成長しない者がいます。
彼(彼女)からは、いずれバランスを失い、悪しき物の側に落ちて行く(あるいは取って代わられてしまう)気配が濃厚に漂います。
この書き分けはくっきりしています。
(もし第3部が書かれるのならば、悪しき側に落ちて行った者(達)との対決が書かれるのかもしれません。あるいはそこからの生還劇かな)
彼らの違いはどこにあるのか。作者は主人公にこう言わせます。
『なぜなら私には信じる力が具わっているからだ。どのような狭くて暗い場所に入れられても、どのように荒ぶる曠野に身を置かれても、どこかに私を導いてくれるものがいると、私には率直に信じることができるからだ』
そして眠っている最愛の娘に語りかける。
『きみはそれを信じた方がいい』
この物語(小説とは書きたくない気がする)が、世の中にどう受け入れられて行くのか。機能するのか。興味深いです。答えが出るのはずっとずっと先でしょうね。